住吉大社の歴史history
御鎮座1800年、有史以来、人々の暮らしを見守りつづけています。

日本全国約2300社の住吉神社の総本社
約1800年前、神功皇后が住吉大神(すみよしおおかみ)の御加護を得て大いに国威を輝かせられたことにより御鎮祭になりました。後に皇后の御孫にあたる仁徳天皇が浪速に遷都、墨江に開港されたことから今に続く大阪・堺の発展をもたらしました。御鎮座以来、摂津国一の宮という社格で聞こえ高く、昭和21年までは官弊大社であり、全国約2300社の住吉神社の総本社でもあります。


ご祭神の由来
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)がケガレを禊祓(みそぎはらい)したときに海の中から生まれたのが底筒男命、中筒男命、表筒男命の神々であり、三神を総称して住吉大神(すみよしおおかみ)と申します。住吉大神は禊祓(みそぎはらい)の御神格をもって現れましたので、神道でもっとも重要な「祓(はらえ)」のことを司る神です。神功皇后をも併せお祀りし、住吉四社(ししゃ)大明神と崇められてまいりました。
ご祭神のご神徳(しんとく)
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お祓い
住吉祭夏越祓神事(茅の輪くぐり)
住吉大神は伊邪那岐命の禊祓 (みそぎはらい) の際にご出現されたので、神道でもっとも大事な「祓(はらえ)」を司る神です。住吉大社の夏祭り「住吉祭」が単に「おはらい」と呼ばれ、大阪はもとより摂津国・河内国・和泉国ひいては日本中をお祓いする意義があるほど、古くより「祓の神」として篤い崇敬を受けてきました。
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航海安全
汐汲船(しおくみふね)
海上の無事を祈る海の神として、万葉集や住吉大社神代記に歌が残っています。奈良時代、遣唐使の派遣の際には、必ず海上の無事を祈りました。このような海上安全の守護としての信仰は広がり、海上輸送がさかんになった江戸時代には、運送船業の関係者により、約600基の石燈籠が奉納されています。
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和歌
境内の歌碑
古来より住吉大社は白砂青松の風光明媚なところから、万葉集や古今和歌集などの歌集に数多く歌が詠まれております。特に平安時代からは、歌道を志して参拝する人々も少なからず、献詠もまた数知れぬという有様でした。境内にはたくさんの歌碑・句碑が奉納されています。有名な和歌としては、「我見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代へぬらむ」(古今和歌集)があります。この歌は、神楽の曲として、今日でも歌われています。
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農耕
産業御田植神事
住吉大神が草を敷かずに苗代をつくる方法を教えたという伝説が残っています。また、神功皇后が長門国(現在の山口県)から植女 (うえめ) を呼び、御田を作り五穀豊穣を祈られたといわれています。
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武
御結鎮神事(お弓始め)
神功皇后の新羅遠征(三韓遠征)神話に由来します。神功皇后は住吉大神のお力をいただき、御自らも弓鉾をとり、大いに国威を発揚せられたとあります。また、神功皇后は住吉大神の御鎮斎に際し、その警護のために土師弓部(はじのゆみべ)十六人を当社におかれたといいます。その故事にちなんで、邪気退散・天下泰平を祈願し、御結神事(お弓始め)が新春に行われます。
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相撲
相撲会(住吉名勝図会)
「住吉松葉大記」によれば、往古の住吉大社年中行事のうち、相撲会(すもうえ)の神事が最も壮麗で盛大なものであったといいます。現在も「宝之市神事(10月17日)」の近くの日曜日には、近畿高等学校相撲大会が行われ、熱戦が繰り広げられます。)

住吉大社公式サイト
日本全国住吉神社の総本社。御鎮座1800年、有史以来、人々の暮らしを見守りつづけています。